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2016/08/26

史論の復権


 「中国化する日本」で著者は、グローバル化が進むときには共同体や中間組織
(イエ、ムラ、会社)が崩れる方向に動くという主旨のことを説いていた。
 本書では、共同体や中間組織という「中間的なもの」を軸に7人の識者(学者
など)との対談をまとめたものである。
 第二次世界大戦後に膨れた中間層がバブル経済崩壊後20年を経て衰退し、経済
的に二極化してきていると指摘し、今後の日本(政治)が「中間的なもの」をど
う扱っていくべきかについて話している。

 私が属する自治体、商店街、同業者組合への参加率が低く、高いところでも15%前
後、6人に1人くらいしか参加しない。
 従前、こうした国と個人とをつなぐ中間組織への依存・需要が下がったものではな
いかと考えていた。
 自治体、商店街でいえば、個人が行政に単独でアクセスできるようになっている。
発表前情報や先行き情報を欲しいと言うのではなければ、加入するインセンティブ
がない。
 事業協同組合では、斡旋業務がかなり衰退している。共同購入や斡旋販売のよう
な卸小売業については、ネット販売や民間企業の努力により壊滅的になっている。
販売よりも、クレジットカードや保険に代表されるように、紹介手数料を稼ぐビジネス
になっている。また、公民ともに競争入札的な取引をするようになり、仕事の斡旋な
ども部分的にしか残っていない。
 結局のところ、手数料でもうけた組合は、組合費を下げることで組合離れを防ぐの
で手一杯というところが多いのではないだろうか。
 同業者組合も、昭和の時代は後輩の仕事の面倒をみてやっていたそうなのだが、
私が独立したころ(バブル経済崩壊後)にはすでにそのような余裕が組合員になか
った。
 いずれの共同体も、すでにその中で事業活動をしていれば何とか食えるという状
況からはかなりかけ離れているという状態である。

 一方、文科省は、地域の子どもを地域の住民が育てる、里山(ビオトープ)をつくる、
体育の授業に武道を取り入れるなど、パトリオティズムを意識した施策を進めている。
 今後の共同体は崩壊(あるいは解放というのか)する方向に向かうのか、再江戸
時代化により踏みとどまることができるのか。

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